倉谷への想いを
1117長岡 Wed, 29 Apr 2026
以前から、昔からの、小生の想いの地、倉谷聚落のことをご覧頂こうと思っておりました。
添付の順に、簡単なご説明も。
添附の01~03:尾根沿いに倉谷へ近づくには、順尾山(途中まで新横谷峠からの車道)から、または吉次山から稜線伝いに展望の全く利かない吉次山山頂二等三角点経由で。その山頂すぐ南での高三郎方面の眺望
深い緑(ブナ林)の尾根筋ですが、この稜線から谷へ降りるには、ちょっと勇気が?
添附の04~06:かつて、高三郎旧道尾根が廃道と化した頃に、
04の山頂写真で、OBでは、小生と上馬さんが。 上馬さんは新道から下山で、小生が現役諸氏を引き連れて旧道下山。
巨樹林では道が無くとも大したことはありませんが、尾根ぞいがヤブと化して、展望が無くなった頃から方向の見定めに大苦労。
それでも、倉谷川の合流点まで降りて、本当にほっとしたものでした。
添附の07~12:かつて、小屋作業がOB中心であった頃から、現役諸氏が多くなった近年までの。各・写真ファイル名のとおりです。
添附の13・14:倉谷までの危険箇所は、聚落手前の崩壊地(ロープ張り渡し)と、旧水位計先の水没地だったモノが、近年は、何処でも危険箇所出現
添附の15~18:寺津発電所前ゲートですが、
2017年の15では、その掲示の右端を良くよく見ますと、「関係者以外立入禁止」
2024年の17では、上記箇所は無くなっていて、「車はダメだが歩行者は立ち入り可」か?と、身勝手な解釈も!?
なお、月ヶ原で不明となられた武蔵さん(16と18)ですが、小生出身の福野町の「福野山岳会」のお人でした。
帰郷の都度、お聴きしておりますが、依然として不明のまま。
かつて、高校生時代に、小矢部川最上流の「下小屋」聚落に足繁く通っていた頃、その地の山村竹次郎さん談。
「月ヶ原には魔が棲む。入ってはならない。」 月ヶ原山山頂のことではなくて、山頂北西の緩斜面の原のこと。(地理院地図ご覧を)
むかし、四髙旅行部のかたの、自転車を担いでの山超え・遭難騒ぎもありました。山頂の北と南に、2本の道がありました。
添附の19・20:湯涌から南へ向かって、吉次山への林道の途上、畠尾のほぼ無住の民家脇ですが、「山菜取り立入禁止」の簡易ゲート。近寄って良く見ますと、なんと、「登山車通行可」の添え書きが。
添附の21~25:昔懐かしい倉谷。集落に入って、少し廻り込んで、多子津山が見えてくる地点です。
添附の26~28:以前にもご紹介の、明治42年測図の3色刷り5万図。昔は、山越えの道が色々ありました。
添附の29・30:先程の地から少し進んで、聚落内の墓石などをあつめたところ。
最古のモノは「慶應3年」の銘も。
以上です。ではまた、どうぞ宜しくお願いいたします。

































