山小屋Bergheimに係わる意見

1117長岡 Tue, 29 Apr 2025

下記再掲メールの主旨は、
 ・倉谷BHを創建時の合津様(下記メールにご説明)談、
  「自分の脚では行けなくなったBHは、自然の中に戻すべき。」
 ・その当時の部長・四十万様(小生も同意見)
  「安全確保が最優先の現代社会で、OB会が、組織としてWV新学生を危険地へ誘うの
   は問題」

 先日、7期四十万様と、「北の都会」(四髙OB、と極小数の金大OB有志の会;毎月催行で850余回に!)の話しをしておりました際に、併せて、犀川ダム上流のWV山小屋(「ベルクハイム」;以下、BHと略記)の今後のことどもも。
以下は、そこでの、四十万様のおっしゃったことも含めての、小生の意見です。
 また、後半では、6期・合津様(初代BHの企画設計・建築監理と渉外等、諸般総てを。)のご意見も。
 このメール宛先の何人様かとは、昨春にもBHへご一緒しましたが、
 その、咋年の前の倉谷には、小生は、2017年の春でした。
 そこで思いましたのは、倉谷は、もう、普通の山歩きの人が行くところではなくなっていると。
 山歩きは、もとより、自己責任の世界ですので、失礼な申し方ですが、OB皆様が行くには、何があろうと、何の問題もないのでしょうが、山歩きに大した経験もない学生さんをお誘いするのは、如何かと思います。
 現代の社会では、企業や団体が何かを為すに際しては、予めの、安全確保が最優先されます。(いろんな事故でのマスコミ報道では、常にそのことが指弾されています。)
 この時期、山々はすばらしい新緑の季節ですので、皆様お帰りになられて、「愉しい山歩きだった」で終わることを祈っておりますが、そうでない場合は、現役学生さんについては、大学クラブ活動であり、大学当局の責と見られます。
もう一人、上述の合津様。
 むかしは、WV関東OBを中核として、年2回(春と秋)、「いわき合津農園PW」をやっておりました。
 その模様は、奥名様HP内の、https://www.kuwv.net/cn16/pg3854.htmlに。
 近年は、OB皆様の高齢化と共に、WV-OB各位のご参加は減る一方で、最後は、小生関係の「北の都会」(四髙OBと金大OB有志極小数の会;毎月催行で850回越)の皆様の参加で、やかで、自然消滅となりました。
 (上URLは、その最盛期から、WV-OBの参加が無くなる時期までの写真を、時系列でご紹介。)
 添附写真は、上URLでの最後の、更に後日ですが、福島からの帰路、いわき市の合津様宅へ立ち寄りで、倉谷BHの現況などご説明(初代BHの最大の貢献者)の際の写真です。
 
 長くなりましたが、その際の合津様談:「資材運搬なども含め、自分の脚では行けなくなった以上、BHは、自然の中に戻すべき。」
「むかし、自分も、倉谷聚落の廃屋・廃材を利用させて貰う際、合掌家屋の解体などを指揮したが、幸運にも怪我人は出なかった。それからずっと、あの危険はやるべきではなかったと、思い続けてきた。」との由でした。
 合津様は、BH建築時の色々な問題毎に、5期・稲葉様(故人)とご一緒に、県庁など折衝にお出かけとの由でした。(四十万様談)
 (現地でご尽力の大勢皆様とは別の、対外的ご苦労が多かった様です。ご本人は何も仰いなされませんでしたが。)
 続けての添附は、上述の倉谷。まだ廃屋が残っていた頃の。
 更に続けては、往時のWV皆様が倉谷BH建設の熱意に溢れていた時期に、四十万さん(当時の部長)が取材を受けた記事と、続けて添附の往時の写真については、そのファイル名中にご説明を。(写真のBHは、何れも初代の山小屋。)
 
以下写真説明
01 WV 関東OB会2011.6.4での紹介写真 1965.1追出しコンパ/DSC_5834.jpg
02 WV-BH S39.5礎石運搬(河川法違反) 関東OB会2012.6での紹介写真/DSC_5833.jpg
03 WV-倉谷BHへ、前方・多子津山 長岡アルバムS46.4撮/伊豫さんと約束の.jpg
04 岳温泉ほか2024.05.28 帰路に合津様宅、旧宅で:部分トリミング/DSK_5460.jpg
05 岳温泉ほか2024.05.28 帰路に合津様宅、倉谷BH春作業の写真を/DSK_5459.jpg
06 倉谷BH S41.11 歓送(4年生送り出し)登山:8-11期/長岡アルバム撮.jpg
07 田村アルバム 倉谷・旧BH.jpg
08 北陸中日 1965(S40).6.6 学府のクラブ25「金大ワンゲル部」/四十万メール20240604を画像調整.jpg