9月12日の金沢城公園 鼠多門
1512舟田 Mon, 14 Sep 2020
皆様
猛暑も台風もコロナも、政権交代劇に、霞んでいます。
どんな災難も、しょせん他人事。個々に解決、決断すべきことなのでしょう。
10月に入ってからのGo Toキャンペーンがらみを2件予約(紅葉の立山と、赤城山・榛名山)したら、2020年に一段落をつけた気になり、
金沢城内を散策してきました。7月に完成を見た、鼠多門(尾山神社とつながる橋)を確認のためです。
昔の生協会館の下、テニスコートだった場所が、池になっていて、出初式の時にはここから汲み上げて放水イベントが行われています。
そういう「定期攪乱」の入る池につき、たいしたことない…の認識だったのですが、それがどうして…。珍しい方の水生山野草が育っています。
「昔は、花など見ざるき」「今も、区別などつかざるき」の方も多いことでしょうが、コロナ太り夫婦は、思いがけない花々に、歓声をあげていました。
身近な自然に気付くようになる…も、成長の証しなんです!
どうせ今後も見分けがつかない…ではなく、どうぞ、たっぷりの時間を、有効に使われて下さい(偉そうに)。
さて、大々的コロナ片付け中に、出てきた現役時代のパンフ類。総勢90人のような時代だったせいもあって、ガリ版刷りです。
青コピーでなかったからこそ残っていますが、50年経過ですから、やっと判読のしろものです。
今ならスキャンで取り込めるような図柄でもせっせと描いていたり、あの頃なりの、真面目でこだわる若者像が浮かび上がってきます。
新歓パンフ、新トレパンフに続き、新聞切り抜き…’70の新トレ死亡事故です。
35周年記念誌編集人としての俯瞰を、25年前にもしてもいますが、
その前に学生運動によるキャンパス閉鎖があり、授業も部活もできず、あらゆる新年度体制が遅れていました。
カニ族ブームと、授業なしのヒマで押し寄せた大量の新入生。経験不足と人員不足が重なった上級生。夏合宿を控えながら、押してしまった新人養成期間。
それら余裕のない状態で、蒸し暑い時期に登ることになった新トレ高三郎で、桂君の心臓発作がおきたのです。
TVはアーカイブばやりです。普段なら、何を今さら…ですが、
コロナ禍のこんな時こそ、老婆心アーカイブがあってもよいと思っています。
(10年にわたる編集長魂が残ってしまっているので)
皆様も、コロナで動けなかったから、書くことなんてない…ではなく、
ステイホームの間に振り返ってみての、他の時なら、わざわざ書くのはどうかな?と思われるようなことを、
是非、「やまざと」に、寄稿されて下さい。
1120森川
確かに金沢城植物園素晴らしいですね!
機会があったら是非訪ねてみたいですね。
ありがとう。
1107加藤
情報ありがとうございます。
秋の花々もです。あぁ、そんな季節になっているのですね。
金沢城が昔に復元されて行くと同時に、
金沢大学の存在がかき消されていく寂しさも
感じられますね。
城には軍隊時代の遺構が残っているのですから、
それを利用したものを金沢大学の一部として
残せなかったのかと思うと、悔やまれるところです。
先日、なるべく大阪の影響を避けるべく、三ノ宮から
六甲山の裏側を通る神戸電鉄利用で三田に行きました。
8期黒崎さんがの労作というべき頌栄短大の植物標本の
展示が兵庫県立の人と自然の博物館で開催されていたからです。
偶然にも黒崎さんにもお会いでき互いにまだ生きていることを
喜び会いました。
その折、ミソハギの展示もあり、従来ミソハギとして採取
していたものに、エゾミソハギが別種ということになり、
それが結構混入していたことが分かったとのこと。これも
同じ種を多数集めていたからできたこと。今回の紹介テーマで
あった「何でそんなに集めるの?」の意味がわかった気がしました。
と言うことで、節ちゃんの撮ったミソハギはどちらでしょうか?
葉っぱもあれば確実だったのですが、よく写してあるので
花だけでも判断できそうです。
私も六甲高山植物園に行ったら確認しようと思っています。
まだ咲いていたらの話ですが。