ご参考/3月26日の戸室山・大野港
1117長岡 Thu, 2 Apr 2020
お久しぶりの、WV-11期OB・長岡です。 頂いた舟田様メールに、「四髙漕艇班」と「大野醤油」のことがありましたので、
ワキからですが、それにつきましての写真ご紹介を、と思いました。
新コロナ自粛萎縮で、我慢の春が進んでおります。 暫く出控えておりましたら、時折の20°越えの暖かさに、
この近くでも、たちまちに桜花爛漫の春となりました。
と思っておりましたら、28日には大雪注意報下の雪で、最初の添附は、来ていた孫の作を取り上げて、少し修形の雪だるま。
以下、添附ファイルの順に。
ファイル名冒頭の02と03が、四髙漕艇班の艇庫跡を示す標木ですが、あるのはこれだけです。(次メールでも、その漕艇班について。)
03以降では、大野湊の醤油につきまして。 大野湊には、随分多くの醤油醸造元があるのですが、
小生ご紹介は、2店だけでして、山形「∧」に「徳」の「ヤマトク醤油」さん(屋号は「橋徳」)さんと、観光バイスも止まる、山形「∧」に「ト」の「ヤマト醤油」社。
「ヤマトク醤油」さんの名刺などを03に。 04がそのお店ですが、通りかかっても仲々気づきません。
その玄関から入って、05にご当主と、販売品も。そこを通って奥の棟つづきが醸造所になっておりまして、以下、ファイル名の通りです。
むかしから使われている醸造樽が見えますが、ここの醤油酵母菌が住みついているような、今では見られないような仲々の造りです。
皆様、大野へお寄りの際には是非お越しを。(なお、「橋徳」)さんが見学可かどうかは、事前にご確認を。)
一連番号の12以下の、(株)「ヤマト醤油味噌」社は、見学者向けには充実しており、金沢名鉄丸越百貨店(めいてつエムザ)にもあると思います。
HPもありました。:https://shop.yamato-soysauce-miso.co.jp/ 市内の各所から、同社の大煙突がよく見えます。
次のメールでは、大野の街と、再び四髙漕艇班の関連を。
添附の冒頭3枚は、大野の街です。 最初の添附(一連番号の17)は、往時に北前船が醤油の積み出しをやっていた河岸。今は漁船の。
秋祭りに行った際のものですが、人出は少なく、19の巨大な獅子舞では「胴のホロを動かせる人手がないので、車付きになった」由でした。
添附の20以降は、前メールでその艇庫跡ご紹介の、再びの「四髙漕艇班」の関係です。
昭和16年の4月6日、四髙漕艇班(今で言うクラブ活動の「部」)11名が、琵琶湖萩ノ浜沖で、比良颪(おろし)下の大波浪で遭難死されました。
時折、皆様にもお知らせ(お誘い)している「北の都会」(四髙と金大有志OBで毎月実施)では、毎年の4月例会で、その冒頭で「追悼会」をやっておりますが、写真20~26がその関係です。
21・22で、四高の北辰星章旗を掲げていらっしゃるのは、WV-OBの登内郁夫様(2年前ご逝去)です。そこで歌っておられるのは、この遭難を悼む「哀歌」を持ち歌とされる山本あきさん(24にその楽譜)です。 25は、遭難の年に作られた「追悼歌」(作詞作曲編曲とも四髙生)です。
編曲(自筆稿)は、四髙の初代音楽部長(今日言うクラブ活動の)・棚倉様ですが、別にオーケストラ版編曲もあります。この才能には驚きました。
その「北の都会」ですが、3月・4月と、コロナ禍で、続けて中止となりました。(添附26)
中止は、毎月貸し切りのレストラン「銀座ライオン」から、2月末になって「やるのですか?」とビックリされたのが発端でしたが、
27のように、最近になって言われ始めた「コロナ感染拡大の3悪条件」(添附28)を地で行くような賑わいの集まりですので、まあ、やむをえません。
最後に添附の、小生の講演(スライド映写会的お話し)も、9月12日への延期となりました。
ところで、先ほどの、石川県知事さんご発言には、ちょっと (@@)
https://www.asahi.com/articles/ASN415S95N41PISC011.html
兼六園も、無料開放の由です。嬉しいなぁ。
ついつい長くなってしまいました。ではまた、どうぞ宜しくお願いいたします。