令和6年能登半島地震

1512舟田
Wed, 3 Jan 2024

 コロナア明けといえる令和6年のお正月が、こんな地震に見舞われるとは?
昨日からずっとヘリの音が聞こえているので、自衛隊機か、県中(病院)のレスキューヘリかが、絶え間なしの活動をしているのでしょう。
1日は「津波の怖れがあります。逃げて下さい」の連呼ばかり、2日も被害の大きい箇所の映像ばかり…。ざっと親戚筋の安否を確かめた後は、それ以上はご当地とい
えども、TV報道以上には判らず。
大過なしながら、動けず動かず…で、過ごしました。
 
まず、1日は午前中、恒例墓参り巡りを済ませ、16時10分時点で、私は元旦から勤務で鉄筋施設の中、夫の方は自宅で留守番でした。
6分前、能登で頻発する地震らしきに、「まただねえ」と言いつついたら、2回目、収まらない、生涯最大の揺れが…。
さすがに勤務中というものは、入所者達の保安が優先。築20年の鉄筋内なら、出ないのが安全。そして、リフォーム(相当に捨て、家具配置も考えた)してあ
る我が家もひとまず安全とは思っていました。
まあでも、食器棚や、3週間前変えたばかりの55インチ4kTVの方はどうなっているものやら?
20時に来た交替の夜勤者が、「外はサイレンが鳴りっぱなしだったし、レンガが崩れているのやらいっぱいあった」との報告。
我が家含め、ごく近辺はたいしたことがなかった方らしい…としつつ、徒歩5分かからない我が家へ。
平常の顔をしている旦那と1階の様子にホットし、飾り棚を見れば、内部は倒れまくっている。
「見て来いや」に、(本命)「節子の部屋」を見に行くと、箪笥上の雑貨が半分落下していました。
二階納戸をあけてみたら、箪笥の上置きが1棹落下しておりました。
翌朝、確かめてみると、リフォームしていない部分の土壁や、外壁モルタルに亀裂が走っておりました。
一応それだけでした。悲惨なのばかりが映ると、この程度で済んでよかった…と考えてしまいます。
 
15期内では穴水の坂尻さんが心配。まだ、真新しい家ですから、そちらは大丈夫であろうにしても、地域の役職として、采配がどっとかかっていることでしょう。
 
とりあえず、節子は無事のご報告です。


 徐々に、報道範囲が広がってきているというものの、生死のかかる現場の情報が最優先で、身近は判りません。
5日、篠笛の初稽古に行ってきました。師匠宅は、東山2丁目、卯辰山の喫茶店「すかいらーく」の真下あたり。
つまり、ひがしの茶屋街よりやや山手の卯辰山寺院群を抜けて15分ほどの、ごく近辺です。
画像は、そのあたりの被害風景です。
積んであるだけ施工の墓は崩れたり、ずれたり回転していたり。
古刹でも、弱くなっていたあたりが、長期振動に耐えられなかったようです。
被害が明らかになるにつれ、新春行事が次々と中止になっています。
 
ちなみに地域報道では、野田山の前田家墓所には倒壊など9割被害が出たこと。
能登の軍艦島がさらに崩壊し、三角山になったこと、曽々木の窓岩も崩れたことが出ています。
 
今朝行ったイオンでは、水・カップ麺・トレぺなどの箱が山積みされていました。
閑散とした街中風景は、コロナ時の再来です。
近江町では、カニシーズンに向けて、乾物屋も、和菓子店も、衣料品店も、海鮮丼屋に、(あっと言う間に)衣替えしていました。
インバウンドの違和感をかき分けるように買物をし、不自由だけど、コロナを思えばめでたしとすべし…と、その賑わいを眺めていました…。
身辺に重大な被害なしながら、観光命の金沢はどうなるのかな‥‥です。

01 玄門寺の墓所

02 来教寺の土塀

03 来教寺の正門

04 真成寺の石柱

05 真成寺脇の石垣

06 三宝院前の墓所

07 東山2丁目、坂途中の民家