昔のBH写真 その3

1117長岡
Sun, 12 May 2024

 今回お送りの写真は、主に、2017年春ですが、末尾に大昔の白黒写真も。
 小生の時代には、「新入生歓迎」や11月下旬の「4年生歓送(追い出し)」のほか、10日間程の夏山合宿の為の
 1泊2日トレーニング(3回実施)の多くも、このBHを拠点としておりました。
 末尾から3枚目は、小生1年生の晩秋。小屋内宿泊は、むろん4年生。ほかは広い河原とBH上にテント10張り分くらい
 整地していた場所。(実は昔のお寺と墓地跡で、時にお骨が出たりして(@@)。)
 大テント村が出来ました。
 ほか、多くはない参加者でしたが、夏合宿後の数日間の「山小屋作業」(新道尾根から見越山へ向けての伐開など)も。
 
 添附のカラー写真の最後は、昨秋に行かれた松下様からお送り頂いた写真です。
 倉谷への吊橋の少し手前で、ご覧のような崩壊地を通過します。ここで滑りますと、春であればかなり下のダム湖まで墜落。
 この急崖の前後では冷水から上がれません。 今年のようなダム減水時では、急崖を滑落で打ち所が悪ければ・・・
 単に付いていくだけくらいの老齢小生には、あまり、モノを言う資格も無いでしょうが、特に、初めてお越しのかたには、
 ここで立ち止まる勇気も必要かと思う次第です。
   (かく申す小生が、足元こころもとなく、一番危険かも?)
  それでも、20歳台に5回訪問のオマーンへ、死ぬ前に今一度と行きまして(今回はその3000m峰にも)、
  その事前トレーニングでの筑波山もなんとかで、まあ、なんとかなるか?!
 
 だいぶお話しが前後しましたが、今回メールの2つ目添附は、昔の理学部地学科4年生の方が卒論の地質調査時に、
 BHの上流ですが、岩壁から転落お亡くなりの碑です。(小生も、その地学科卒ですので。) 山には、常に危険があります。
 
105 倉谷BH S41.11 歓送(4年生送り出し)登山:8-11期
106 田村アルバム 倉谷BH建設 手渡しで石運び上げ
107 田村アルバム 倉谷・旧BH
601 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 高桑弘親さん碑:カン谷と水上谷の間、二又の上
602 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 歿の高桑弘親さん碑:カン谷と水上谷の間、二又の上、金大理地学建
604 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 水位計直上流へつり
605 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 水位計直上流へつり先9分、恒例の小屋掛:この先右へBH登路
606 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 冬越しのBH健在
607 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 冬越しのBH、水洗トイレ健在
608 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 冬越しのBH、水場通水
609 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 BH屋内貼付
611 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 倉谷鉱山精錬所跡地鉱滓、街と郵便局があった
612 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 金山谷、新道登山口の橋
613 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 帰路、水位計直上流へつり
614 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 倉谷 発電所小屋
615 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 帰路、倉谷聚落跡
616 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 帰路、倉谷聚落跡 恒例の小屋掛け前方に多子津山
617 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 カタクリ
619 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 ダムに高三郎登山道標が
620 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 上寺津ゲート:通年閉鎖、左端に不明者捜索依頼
621 WV-倉谷BHへ2017.4.25 BH春作業下見 上寺津ゲート、月ヶ原不明者捜索依頼
622 松下2023.10撮 292雨の中再度崩壊ヘツリを通過